皆さんボッカ駅伝という競技、ご存じでしょうか?
ボッカとは、歩く荷物と書き"歩荷"と読みますが、読んで字のごとく、あまりに沢山の荷物を担いでいるので、後ろから見ると荷物に足がはえて歩いている様に見えることから歩荷という名前がつきました。そのボッカで競争をするという競技が、ここ神奈川の丹沢で開催されます。
そして今年もその恒例のボッカ駅伝の季節となりました。
毎年重ねて、もう16回目です。
第16回・丹沢ボッカ駅伝という競技大会が6月2日、つまり来週、丹沢の大倉尾根で開催されます。駅伝というからにはタスキやバトンを手渡して引き継ぐ訳ですが、このボッカ駅伝はそのバトンが背中に担ぐ荷物です。荷物をバトン代わりに、数十キロの荷物を担いで、しかも山に登るスピードを競うという、聞いただけで疲れてしまうような競技ですが、日本全国にもここにしかない珍しい大会です。今年で3度目になりますが、今年の大会にも我々もエントリーしまして、何度か現地でのトレーニングも積んできました。上位入賞は無理としても、何とか真ん中位には入りたいなぁともくろんでいたのですが、過去の大会の記録を見ると、なんとレベルは思っていた以上に高くて、とてもじゃないけど私達の実力では太刀打ちできない事が分かりっています。今では、とにかく完走をして、最下位にはならないようにと言うのが目標です。ちなみに、過去の大会記録を見ると、通常大倉尾根という登山コースは3〜4時間ほどかけて登る山道で、早い人でも2時間以上は確実かかりますが、なんと最高タイムは20キロを担いだチームで1時間4分55秒です。これはもう驚異的な早さで、どの位早いかというと、3年前に開催された神奈川夢国体での山岳縦走競技がやはりこの同じ大倉尾根の同じコースで行われたのですが、その時の男子1位のタイムが59分06秒でした。ではこのボッカ駅伝の最高タイムの1時間4分55秒と言うのが国体競技ではどの辺りかと言うと、ちょうど20位に位置します。かたや国体競技という、日本全国の各県代表選手が100名ほど集まった、しかも殆ど荷物を持たない空身での走りと、かたや20キロの荷物を背中に担いだ走りですので、その中でも20位に入ってしまうスピードと言うのは本当に驚異的です。今までの出場チームを見ても、山岳救助隊として有名な富山県警や、陸上自衛隊武山駐屯地の第一教育団、また当然ですが、国体でも常に上位に入賞している神奈川県の国体選手チーム等々、強豪が目白押しです。会場は、小田急・渋沢駅からバスで15分、秦野市の大倉と言う場所にある、"県立秦野戸川公園"がスタートです。皆さんも是非応援してください。よろしく。尚当日は、コースにあたる大倉尾根は、一般登山者、大会役員、そして走り抜ける選手達で一杯になると思いますので、静かな山登りをしたい登山者の方は、別のコースを選ばれた方が無難です。
ところで、ボッカと言えば、私自身はあまりいい想い出がありません。また今でこそ少なくなりましたが、昔はよく山に登ると大学の山岳部や社会人山岳会でのボッカ訓練に遭遇したものです。そんな現場を目撃したり、また自分自身がボッカ訓練に参加したりすると、本当に山登りなんか止めようかと思ったものです。しかし後々良く考えてみれば、荷物を分け合ったり、励まし合ったりした時の仲間との連帯感や、結果として足腰が強くなって、その後の山登りに体力的だけでなく精神的な余裕が生まれたりと、あれはあれでいい訓練だったのかなと、最近ボッカ訓練などをやらなくなってから、つくづく思うようになりました。
さて、訓練ではなく、私自身の山でのボッカというか、重い荷物を担いだ経験ですが、遠い遠い20年以上も前の話になります。当時、自分と近くの仲間達で、丹沢などの簡単な山登りをしていて、やっぱりすごい山に行くには山岳会に入るしかないなと決断しまして、横須賀のとある山岳会の門をたたきました。それまでは簡単なテント山行をしていた程度でしたので、担いだ経験のある荷物はせいぜいが20キロ程度でしたが、入会した山岳会の初合宿に参加する事になり、受け取った共同装備の多さに愕然となりました。石油の5リットル缶があるわ、ススで黒々とした大鍋はあるわ。ペミカンという重い食糧はあるわで、自宅の体重計に乗せたらなんと45キロでした。そんな荷物を入れる大きなザック等も持っているわけはなく。先輩に借りた大型の、今は無きキスリングザックに、やっとの思いで全てを詰め込み、さて出発と思ったら体が上がらない状態でした。しかも、お借りしたキスリングが古かったのか、駅の階段を大汗かいて上っていた時に、荷物の重さでショルダー部分がブチッと切れてしまって、当時の登山装備には必ずあった針金とペンチで急遽修理をして、やっとの思いで新宿駅にたどり着いたものでした。もう登り始める前からヘトヘトでした。その時は、正月休みを利用した冬の合宿で、北アルプスの五龍岳という山に登ったのですが、遠見スキー場のリフトにその重いキスリングを乗せて、当時シングルのリフトだったので、大きなキスリングだけでイスが一杯になってしまって、自分はそのキスリングにつかまって、いつ落ちるかとビクビクしながら乗ったものです。結局、思ってた通りに私がばてて動けなくなり、結局予定していた場所より手前にテントを張る事になってしまい、先輩達にもだいぶ迷惑をかけました。ちょうどドカ雪がシンシンと降っていて、ばてた私を置いて先輩達がテントを張る場所を探しに行ったほんの10分ほどの間に、私はもう疲れて意識がなくなってしまい、帰ってきた先輩に揺り起こされた時は完全に雪だるま状態だったそうです。
その後、現在までに40キロ程度の荷物は何度も担ぎ、仕事場では観測に使用する37キロある電池を二つですから、約74キロほどを担いで山を登ったりもしましたが、後にも先にも、あの一番最初に重たい荷物を担いだ記憶が一番鮮明に残っています。
さて、明日のボッカ競争は、そんな古い想い出がまたよみがえって来るのかもしれません。
山岳一級遊び人:川名 匡でした ではまた来週。
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