2002.10/10up
FMブルー湘南
川名 匡の山に遊ぶ
(2002.05/04放送)

ネパールのお祭り

私は現在、ネパールにあるランタンヒマールの中のピーク、ヤラピークという5520メートルの山に登っています。
従って日本におりませんので、今回は出発前に収録したモノを放送させていただいています。よろしくお願いします。

実はネパールに行くのは今回で2回目です。前回は2000年の9月から11月にかけて行きました。足かけ3ヶ月、実質45日ほどの旅でしたが、その間に、約一ヶ月山に入り、6500メートルほどの山に登ってきました。今回はトレッキングでの5500メートルほどのピークハントですが、前回はエキスぺディションという本格的な登山で、登山許可書を申請したり、日本の外務省とのやり取りや、現地ネパールの観光省とのやり取りなど、結構複雑でした。そんな登山の中、カトマンズを出発した日はお祭りの真っ最中でした。そして帰りもまた別のお祭りと遭遇しまして、ネパールとは本当にお祭りの多い国だなぁと思いました。そのお祭りを今日は紹介しましょう。

まず前回の10月、私たちが遭遇したのが"ダサイン"というお祭りです。 ダサインは、ネパールの祭りの中で一番重要でまた期間も長いものです。この祭りの間、会社や学校は休みになり、ラジオやテレビからはダサインの音楽が流れてきます。私も現地でネパールのカレンダーを見て、万国共通、お休みマークの赤い数字がずらっと続いているのを見てびっくりしました。 カトマンズでは子どもたちが凧上げに興じ、市場は農家の人たちが連れてきた水牛やヤギ、ニワトリなどで一杯になります。これらの家畜は各家庭で悪を制覇した女神ドゥルガに、犠牲として、つまり生け贄としてささげられるのです。祭りのメインの日であるダサミの日には、人々は真新しい洋服を着て一族の長老の家に挨拶に出向き、ティカと呼ばれる真紅の印を額に付けてもらいます。それが終わるとダサインは家族や古い友達たちが再会し楽しむ時間になります。おいしいごちそうを食べたり、プレゼントをもらったりします。このネパール最大の祭りは満月の日まで続きます。しかし私たちはこのお祭りの初日に山に入ってしまったため、実際に見ることはできませんでした。ちょっと残念です。しかし、このお祭りのおかげで、荷物を担いでくれるシェルパの人数が集まらず、結局予定の倍の日数をかけてベースキャンプにたどり着きました。

そして、 登山の帰りに遭遇したのか"ティハール"というお祭りです。
「光の祭り」として知られているティハールの祭りは、ローソクの明かりときらびやかな飾りと、そして祭りのために用意されるキャンデーで彩られます。一週間近くにわたって続くこの祭りでは、日ごとにそれぞれの行事が決まっていて、例えば、からすをまつる日があったり、犬、雌牛、雄牛をそれぞれまつる日があります。ラキシミ・プジャという夜には、富の女神であるラキシミという神様を自分の家に招くために、花輪が壁にかけられ、灯明がともされます。それに続くネワール族の暦の新年にあたるマハ・プジャという日には、人々が自分自身にお参りする時です。新しい年も健康で幸せに暮らせるように、自分で自分に祝福を与えるのです。そしてバイ・ティカの日は、ティハールの祭りの最後の日ですが、それぞれの家庭の女性が男性に敬意を表してお参りします。クルミを割る儀式、マカマリの花で作った花輪を首にかける儀式、そして地獄の神ヤマから守るために男性の周りに菜種油で円を描いて囲む儀式が行われます。 実はこのお祭りの真っ最中に私たちは遭遇しました。今流れている音は現地で私が収録してきた音です。子供達が集まって家々の玄関の前で歌を歌います。歌の内容は分からなかったのですが、大人達は歌っている子供達を笑顔ではやし立てていました。一つの玄関で歌い終わると、その家の人からお金やキャンディーをもらって、また次の家の玄関に行き歌い出します。何となく、ハロウィンの様な雰囲気でした。その間、町の電気は完全に消されていて、家という家すべての玄関や窓にローソクがともされます。ローソクで照らされた中、子供達の歌がずっとずっと続き、とても幻想的な雰囲気でした。 今日はこの子供達の歌声を聞きながらお別れしましょう。

来週は日本に帰ります。帰りましたらまたネパールの事、ヒマラヤの山々の事、そして向こうであった人たちのこと、色々とお話しましょう。

山岳一級遊び人:川名 匡でした ではまた来週。

 

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