1998.12/24up

北アルプス・奥穂高岳

△▲△森羅△▲△


涸沢にて
今回のメンバー三名そろってポーズ


涸沢にて 期  日:1998年4月30日(夜行)〜5月4日
メンバー:L川名/カンスケ/ゆーちゃん
行  程
5/1(金)上高地11:58→横尾15:25/15:40〜横尾谷出合〜涸沢18:20(テント泊)
5/2(土)雨の為停滞
5/3(日)午前中雨の為停滞
5/4(月)涸沢05:40〜白出のコル7:30/7:40〜奥穂高岳8:30/9:20〜白出のコル〜涸沢11:10/
    涸沢13:05〜横尾15:50〜徳沢園17:15(テント泊)
5/5(火)徳沢園9:30〜上高地11:10/13:00(高速バス)→横浜


 毎年恒例のGW穂高だ。今年でいったい何年目だろうか。しかし今回は森羅発足の記念すべき第一回山行となる。人数こそ少ないが、感無量だ。そしてその第一回目の山行が私の大好きな穂高となったのも何かの縁。しっかり楽しみたいと思う。メンバーはなじみのカンスケとゆーちゃんだ。計画では、まずカンスケと二人で前穂の北尾根を登り、続いてゆーちゃんも加えて奥穂高、最終日は予備日でまたどこか登れたら登ろうという事であった。しかし入山初っぱなから雨の洗礼を受け停滞となる。何度も来ているGW涸沢だが、今回が一番ウダウダと過ごす時間が長かったような気がする。

涸沢にて [一日目〜入山]曇り
 上高地からの通い慣れた道を横尾まで入ってもまだ残雪はチラホラとしか現れなかった。雪の多い年はもう徳沢に有るのだから今年はとても雪が少ない。それを確信したのは本谷橋付近でだ。例年だと完全に雪に埋まっていて、いつの間にか雪踏みで通り過ぎてしまう場所を今回は泥だらけになって迂回路を渡る羽目になった。コレは例年だと5月下旬から6月の状況だ。こんな状況だったら橋を架けてくれてもいいのにと思った。横尾谷の出合でやっと雪の上に乗るが、それにしても少ない。涸沢へ続く谷は雪の下から沢が出ていた。
 この辺りまで登ってくると、案の定私がバテ出す。先週からひいている風邪のため思うように体が動かない。私の体のそこら中が悲鳴を上げていた。しかしコレも私の自己管理がずさんなためだ。カンスケにできるだけゆっくりと歩いてもらい何とか涸沢までたどり着けたが、もうバテバテで大変だった。

武藤さん [二日目〜停滞]曇りのち雨
 張り切っているカンスケには言いだし難かったが、今朝も今一体の調子が良くないので停滞を宣言する。奥穂ピストン位だったら何とかなると思ったが一様バリエーションである北尾根の予定だし、大事をとった。北尾根は明日とし、最終日にゆーちゃんともう一回一般ルートで奥穂へ行こうと言うことでカンスケにお許しをもらう。おかげでおでんをおごらされた。
 午前中の遅い時間、涸沢ヒュッテの天気図を見に行ったら見慣れた人がいた。茅野の武藤 昭さんだ。昨年の秋、唐松岳の帰りに茅野のお宅にカンスケ達と泊めてもらった事を思い出す。武藤さんは山岳カメラマンで、今回はテレビ局の番組取材で来られていた。涸沢に滞在して、GWの風景を撮りだめているそうだ。やがてカンスケも参加し、みんなで涸沢名物のおでんと生ビールで盛り上がる。涸沢はコレができるから最高だ。
 そうこうしているうちに、また知り合いに会った。私がもと在籍していた横須賀登高会りメンバーだ。なんでも私たちと同じような行程で、涸沢に今日入ったそうだ。あちらのメンバーは3人。全員、以前私がこのGWの涸沢に連れてきた連中だ。私のホームページの中の登高会時代のrepにも何度か登場している奴らだ。また飲む機会が増えたようだ。
午後はゆーちゃんにブロックの積み方を教える。テントの周りに立派な風よけができあがったが、結局これも一晩の命となる。午後遅くから夜にかけてかなり激しい雨となったからだ。GWにこんな大雨も珍しい。

横須賀登高会の面々 [三日目〜また停滞]雨のち晴れ
 夜中の大雨でテントの中にできた水たまりに、ゆーちゃんが買ったばかりのデジカメを水没させる。もう目が点になっていた。夜中に水没して何時間も浸かりっぱなしだったようで、もう諦めるしかない。可哀想〜
 朝になっても雨で、そして今日も停滞となる。これで明日みんなで奥穂ピストンだけとなる。もちろん明日の天気が良ければだが。初日に私がバテてしまったのが今となっては痛い。しかしこの停滞つづきで、私の体調はだいぶ良くなってきた。 登高会の連中も停滞なので、あちらの広いテントで宴会を始める。ああ〜二日も停滞してしまった。ウダウダとする時間がこう長いと、ヒュッテのおでんもそろそろ飽きてきたし、手持ちのつまみ類も尽きてくる。もっとも酒も肴も、ヒュッテに行けば死ぬほどあるので懐が怖い。午後から天気が回復して来たので、明日の奥穂に期待して寝る。

穂高山荘上の急斜面 [四日目〜奥穂高岳ピストン]晴れ
 やっと青空が広がった。我らが支度をし終わった頃には、すでにザイテンにアリのような列ができあがっていて、やっと涸沢らしい景色になる。5時40分に出発。カメラを担いだ武藤さんが見送ってくれた。
 ザイテンの途中で、冬毛がまだらに残る雷鳥に出会う。雪を踏みしめるサクサクという音が心地よい。一汗かいて白出のコル着。どうやら私の体調は完全に復活した。すぐ後ろに団体さんが控えているのでほとんど休まずにまた歩き出した。出発!と言ったら、カメラを出そうとしていたゆーちゃんが慌てていた。

奥穂山頂にて  コルからの梯子がある岩場でザイルを出しているパーティがいた。ここでザイルを出さなくてはいけないようなパーティはこの時期の穂高には来るべきでないと思うのは少し辛口の評価だろうか? みんな山を楽しみたい訳で、コレも仕方のない事なのかな……。その上の岩場でも渋滞していたので、右の雪の斜面を登る事にする。ここはかなり高度感がでる場所なので、カンスケやゆーちゃんは緊張していた。私はと言うと、実はこんな高度感が好きだ。このゾクゾクがたまらない。この斜面を過ぎると道は落ち着き、雪が吹き飛ばされて無くなったゴツゴツの道をアイゼンで歩く。よっぽどアイゼンを脱ごうかと思ったが、また履くのがいやなのでそのまま歩いた。やがて次の雪斜面を登りきると山頂は目の前だ。ジャンダルムがまぶしい。

 そして奥穂高岳山頂到着。昨日までの天気が嘘のように晴れわたり、景色は最高だ。ちょうど来年のヤマケイJOY春号の取材があり、私たちを含めたまたま山頂にいた登山者全員で集合写真を撮る。もし掲載されたらいい記念になる。私は少し変な格好をして目立とうかなと思っていたが恥ずかしいのでやめた。あとでそのことをカンスケに話したら、川名さんの場合はそのままで充分変だよと言われた。複雑な気分だ。
 なんと小一時間は休み、山頂を楽しんだ。重い腰を上げて出発。下山開始。順調に下り、涸沢にも早く着く。まだ11時だ。当初の予定では涸沢にもう一泊して明日下山するつもりでいたが、上高地からのお昼のバスを予約していることもあり、あの本谷橋付近の状況も昨日の雨でまた一段と悪くなっている事も考えられるので、今日中に徳沢辺りまで降りてしまおうと宣言。生ビールで乾杯してからテント撤収にかかる。登高会の連中にもその話をしたら、一緒に下るという。なんかまだ彼らのリーダーをやっている気分だ。
 13時過ぎ涸沢発。雪はまた一段と無くなっていて、沢をしばらく下ると、夏道方向に誘導ロープが張ってある。雨でまただいぶ溶けてしまったようだ。また本谷橋はかかっていない。横尾着15時半。なんとアルプさんや風来さん達(fyama仲間)とばったり出会う。彼らは槍に登って来たそうだ。私たちは徳沢泊まりなのでのんびりしていたが、彼らは今日帰りだそうで、足早に下山をしていった。
 17時過ぎ徳沢園着。テント設営。テントをキャンパー風に作ってランタンを木の枝にかける。芝生が気持ちいい。地面にごろんとしてのんびりと夕食を食べた。

アルプさん達 [五日目最終日]晴れ
 チョットのんびりとし過ぎていて遅い出発になってしまったが、上高地でお風呂に入りたくて急いで歩いた。ところがお風呂は11時で清掃時間になってしまっていて、結局10分遅れで入れなかった。仕方なく、小梨平のキャンプ場の水道で体を拭いて我慢する。帰りはバスだ。それも横浜駅西口直通の高速バスである。これはチケットさえ手に入ればいつも利用しているが、特に疲れた帰りは乗り換えが無いから荷物も持たずにとても楽で便利だ。
 しかし今回は停滞も長かったが、武藤さんからはじまりアルプさん達まで知り合いにも良くあった。雪も少なくてビックリした。何度も訪れている涸沢だが、何度行っても新たな発見やおもしろさがある。ところで来年もまた行くのかなぁ……。

以上 川名 匡 


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