1998.12/24up

丹沢・表尾根縦走


丹沢表尾根にて
丹沢表尾根(烏尾山付近)にて カンスケとその父上


丹沢表尾根にて 期  日:1998年4月12日
メンバー:L川名/カンスケ/カン父
行  程:秦野駅→ヤビツ峠〜三ノ塔〜烏尾山〜塔ノ岳〜花立〜堀山〜大倉→渋沢駅

前からお話はあったのだが、
  やっぱり山が好きなカンスケのお父さんと三人で山に行ける機会がやっとできた。


秦野のバス停(1998.4月時点)  早朝横須賀を出発。秦野駅でヤビツ峠行きのバスに乗る。しかしたぶん混むであろうと言うことで、バスの時間より少し早めに来たのだがすでに沢山の登山者が並んでいる。ほとんどが中高年だが、登山の人気がうかがわれる光景だった。パスは臨時も含めて2台でる。
 さて今回は、丹沢表尾根縦走である。以前この今回のコースをしっかりと歩いたのは10年以上前だ。今でも沢に登れば表尾根や大倉尾根に出るが、近場の枝尾根にショートカットして下山してしまうので、ほとんど表尾根〜大倉尾根の縦走コースを走破する事は無い。そして今回、久しぶりのヤビツ峠に向かう。表尾根縦走と言えば、その昔、平日のしかもガスが巻いていたあまりいい天気でない時に一人で歩いた時の事を思い出す。あのときは蓑毛から歩いた。ほとんど人に会わなくて、最初にあった生き物が新大日の鹿だった。今でこそ表丹沢の鹿と言えばえづけされたように人になれていて、チョット油断すれば食糧を盗られてしまうようなやっかいモノだが、そうなったのも登山者が好き勝手に餌を与えた結果だ。当時はまだ、手が届くどころか姿を見るのも大変だった。大勢で歩いているときには姿を見せず、単独行で静かに歩いている時だけ遠くに見かける程度だった。その時は、新大日の熊笹の中がザワザワっとしたかと思ったら突然狭い登山道に現れて、なんと私とぶつかってしまった。私もビックリしたが鹿もビックリしたことだろう。白い尻を私に見せて、よっぽどあわてていたのだろうあの軽快な鹿が何度も転びながら逃げていく姿を、尻餅をついた状態で呆然と見ていた自分を思い出す。もう20年以上前の話だ。
 さてヤビツ峠からはしばらく舗装道路を歩く。程なく立派な道を外れて二ノ塔の登りだ。この登りが第一の難関で、初めての人はたいがいここでバテる。ここはなるたけペースを落としてゆっくりと登るのが上策だ。カン父はハイキング程度の山登りを初めてしばらくたつが、表尾根のような本格的な山は初めてだそうで少し緊張している。しかし初心者によくある歩調の乱れもなくてゆっくりとしかし確実に登っている。
 二ノ塔到着。ここまで来ればもうしめたモノだ。急登が続くのはここまでで、ここからは上り下りが連続してある尾根上だ。あとは距離を稼ぐのみ。少し休んで三ノ塔まで行く。三ノ塔の山頂は二ノ塔よりも広い。すぐ近くに見える烏尾山の山頂にある三角屋根の山小屋がかわいらしい。ガスっていて塔ノ岳は見えないが、正面に下山予定の大倉尾根も見える。

丹沢表尾根にて

休憩  「大丈夫〜?荷物もってやろうか〜?」「な〜に言ってんだ〜水飲むか?」こんな些細なやりとりも、親子だと思うとほのぼのと聞こえてくるから不思議だ。私は私で、いつものカンスケとまた違った一面を見れて楽しい。またお父さんの話し方も何となくカンスケの口調と似ていて(いゃカンスケの方が似ているのだろうが)、思わず吹き出してしまう場面もある。何となく後ろで、二人の会話を聞きながら歩く。カンスケの性格は、このカン父の影響が強いと言うことがよく分かった。フムフム
 烏尾山を過ぎると唯一のクサリ場が現れる。カンスケにしてみればなんて事はない場所だが、下から心配そうにカン父を見上げていた。カン父が降りつくと、私がまだなのにさっさと二人で行ってしまう。まあいいんだけど〜、ちょっと待ってくれててもいいんじゃない?
 新大日付近で雪が現れる。ほんの少しであったが雪踏みを楽しんだ。そして塔ノ岳着。当初、カン父自身が心配していたので私やカンスケも、もしカン父がバテて登れなくなったらと、まずは烏尾尾根、そして政次郎尾根、カイサク新道とエスケープルートを考えていたが、ほとんどバテた様子も見せずに塔ノ岳に着いた。私が二十歳の時に最初にこの塔ノ岳に着いたときは、バテバテで口も聞けなかったのだから大したモノだ。今更ながら中高年パワーには感服する。カン父もここまで登れた事でだいぶうれしいようだった。

塔ノ岳山頂にて [ガンバって塔ノ岳着]
 予想時刻よりも早く着けたので大休憩をする。山頂はガスが巻いていて視界が無かったが、おかげでかいた汗が消えて気持ちがよかったし、沢山の登山者の姿も薄く消してくれているので何となく静かな雰囲気だ。例によって人なつっこいというかなれなれしいというか、食べ物をねだる鹿が我らの周りを歩き回る。これでは奈良公園のあの怖い鹿と変わらない。鹿達の為にも何とかして欲しいものである。

塔ノ岳の鹿  さてここからは下りだ。これから下る大倉尾根は、登るにも下るにも長い。通称馬鹿尾根と言われているだけあってきつい尾根だ。ここはゆっくりと無理をせずに歩く。ゆっくりと下る事は、膝のためだけではなく、浮き石に乗ったり赤土の斜面で滑ったりする事の防止にもなる。このときストックは有効だ。何事ものんびりと焦らずにやることが大事なのだ。特に花立山荘の前からの急階段は見るだけでうんざりとするがここもゆっくりと降りる。滑りやすいので、丸太の上にはあまり乗らない方がいい。どんなにゆっくりと降りても、動いてさえいればそのうちに下り着く。カン父に、下りの足運びを伝授するが今でも覚えてくれているだろうか? 大倉尾根も堀山まで下るともう後半となる。傾斜もいったん落ち着いて山桜を眺める余裕もできる。ここまで来て膝がガクガクしていなければもう少しハードなコースも歩けるだろう。カンスケはいつもの通りすこぶる元気だし、カン父の足どりも軽い。ひょっとしたら私が一番疲れていたのかな〜。

花立直下の階段 [そして大倉到着]
 大倉尾根もそろそろ最後。植林の中のえぐれた登山道を下り着くとやがてゴツゴツとした舗装道路になる。最後に綺麗な桜を見物しながら、国体の為にこれまた綺麗になりつつある大倉のバス停に到着。ここで自動販売機のビールが私を手招きするがグッと我慢して、バスで渋沢駅へむかう。

[カン父へ]
 おとうさん、今度は八ヶ岳か奥秩父でもどうですか? それとも北アルプス行きますか?
カンスケもお父さんと一緒で楽しそうでしたよ。私の娘はまだ小さいけれど、大きくなってもはたしてこのおやじに付き合ってくれるだろうかと、ふと思ってしまいました。とてもうらやましかったです。
またご一緒しましょう。

「いろは食堂」にて  渋沢駅の裏側(昔は表だった)にある登山者御用達の「いろは食堂」で乾杯をする。ここは渋沢駅に帰り着くとほとんど毎回立ち寄る食堂で、夏場にはカンスケと一緒に連続5週間通った記録がある。カンスケは女将さんに「沢の子」と呼ばれていた。たまたまカンスケの同僚の人も飲んでいて、一緒に記念写真。今回は思っていた以上に余裕が持てた山行であった。

以上 川名 匡



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一級遊び人:川名 匡 t_kawana@da2.so-net.or.jp