1998.12/24up

八ヶ岳・硫黄岳

脳天気山行


やっとの思いで登れた硫黄岳山頂にて 【南八ヶ岳山行前始末記】

 実は今回の山行は14日〜18日の予定でした。ではなぜにして16日〜17日になってしまったのか? それは入山できるまでの長〜い永〜い道のりがあったからなのでした。山行報告の前に、まずはこの山行前始末記をご覧あれ。

01/14(水)曇り
[20:00/横須賀出発] 急遽入ったFM生放送収録の為、予定より遅れて横須賀出発。ちなみに放送内容は"都会での大雪の対処"。都会で大雪が降ったときにはどうしたらいいか等を話してきたが、まさか翌日の自分を予言していた訳ではない……。
 さて今回はfyama仲間で八ヶ岳に登るという一大計画である。夜行でステーションビバークも疲れるし、カンスケやアビちゃんも前日移動ができないため、前日動ける者だけ甲府在住のパンプキンの家に泊まり、翌朝後発の二人と合流して美濃戸口から赤岳鉱泉入りと言う計画をたてた。仕事などで山には参加できないfyama仲間の山梨在住組も集まって、夜は宴会となったらしいが、私が夜遅くパンプキン邸に到着した時は宴会もすでに下火という状態だった。天気予報では関東甲信越地方の大雪の予報を出していた。

01/15(木)雪
[05:00/外は雪] すでに20cm程度の新雪。寝る前にほとんど決まっていた事ではあるが、"待機"となる。6時過ぎにテレビをつける。天気予報のとおり、関東各地で雪が降っていた。甲府の降りは初め雨のような小さな雪であった。その後、朝出発した二人から次々と連絡が入ったが、大雪が予想されるため予定していた茅野合流は取りやめて、とりあえず私たちがいる甲府へ来るように指示をする。
そして9時過ぎ、いよいよ大雪の影響が現れだした。あずさ車中のアビさんから電話が入り、雪のため特急が猿橋の駅に停車したまま動く気配がないという。カンスケは一本前の特急に乗っている事を告げ、動きがあったら連絡するように指示をする。こちらの雪はボタ雪に変化。見る見る降雪量が増えていた。
そして10時、カンスケ甲府到着。乗ってきた特急は甲府で運転中止となる。さらに11時、アビさん甲府駅到着。この時点で中央本線は上下線とも運転を見合わせていた。二人とも間一髪甲府までたどり着けたという訳だ。全員が集まったところで今後の予定を協議する。
(1)今日の行動予定は中止。甲府でもう一泊する事にし、山は明日出発。
(2)車を出して、できれば美濃戸口まで偵察をしながら、どこかの温泉に行く。
以上が決まり、武田神社に駐車してあるメンバーの車2台を取りに行く。車を雪の中から出す為、男全員で出かけた。降雪量は40cm弱。武田神社まで、30分近い雪中行軍となる。途中、この吹雪の中、路上講習中の自動車学校の車がいたのにはビックリした。

甲府と中央高速での風景

 お昼過ぎ、全員タオルを持ち、車に乗車。そして出発。偵察ドライブ開始だ。雪は降り続いている。
 ところがしばらく茅野方面に走るが、雪は益々激しくなるばかりで結局山偵察と温泉をあきらめUターン。閉まっている店が多く、やっと昼飯に入ったファミリーレストランには、我らの他には二人連れのカップルが一組きりであった。
夕方、全員で近くの銭湯に行く。いつの間にか雪は止み、空には月が出ていた。テレビで、甲府は甲府気象台観測史上最高の49cmと言っていた。銭湯はなんと温泉で、サウナ風呂まであり快適だった。夕食は甲府在住パンプキンお手製の"ほうとう鍋"が美味しかった。

01/16(金)晴
[05:30/起床] 荷物をまとめ車を取りに行き、出発7時。天気は最高。しかし除雪も完璧とは言い難く、かろうじて甲府以西の通行止めが解除となった中央高速を低速で走る。9時過ぎに茅野駅着。アビさんは、仕事の関係でどうしても明日のお昼までに成田空港に行かなくてはならなくなり、ここで別れる事になった。今日は出来たら少し山を歩く。それがダメなら美濃戸口まででも行って戻ると決めていたのだが、美濃戸口へのバスも不通と言うことで、もし戻れなくなった場合はまずいので、結局茅野止まりとなってしまった。茅野からの列車も現在不通だが、動き出すのをここで待って、最悪ダメなら茅野泊まりという事だ。ご苦労さまです。
 そしてやっとの思いで11時、美濃戸口着。 そう、やっと山登りが始まる……。


赤岩の頭からの下り
期  日:1998年1月16日〜17日
場  所:南八ヶ岳・硫黄岳
メンバー:L川名/SLカンスケ/トラ杉/パンプキン
         /TAO/ゆーちゃん/きすげ/ごみっち
行  程
1/16(金)
美濃戸口11:25〜美濃戸13:30/14:00(北沢)〜赤岳鉱泉17:35(泊)
1/17(土)
赤岳鉱泉09:45〜赤岩ノ頭11:45〜硫黄岳12:30〜赤岩ノ頭13:20〜赤岳鉱泉15:00/17:10〜美濃戸18:30〜美濃戸口19:00

 茅野から美濃戸口までの道のりも雪だらけであった。途中チェーンを巻いたりしながら難所を突破し美濃戸口着。訂正した入山表を投函しいよいよ出発。丁度下ってきた赤岳鉱泉のご主人に、赤岳鉱泉から美濃戸までの下りで6時間かかったと聞く。行者小屋方面の南沢はトレースが無く、登りは何時間かかるか分からないので入らないようにと注意された。美濃戸からの林道はトレースがついていたが最初歩きにくくだいぶ時間がかかったが、途中除雪車とすれ違ってからは歩きやすくなる。
 赤岳山荘から先が細いトレース一本となる。深さは3〜40cmだ。休憩を何度か繰り返し堰堤前着。ここより先、パーティを二手に分けて、カンスケ、パンプキン、ごみっち、ゆーちゃんの若手組を先に行かせる。テントを設置し終わっても我らが到着しなかったら空荷で迎えに来るように言った。

夕日の中、北沢を登る さて美濃戸口出発当初の、私の予想到着時刻であった17時になってしまった。すでに辺りは薄暗い。ここは北沢の木橋を何度か渡る最後の橋を過ぎた場所だ。普段のトレースバッチリの冬道で、鉱泉まではあと15分ほどのはずだが、すでに先発隊は鉱泉に到着している事だろう。テントを立て終わり、迎えに来てくれないかなぁと微かに期待をしながら出発。そして後組赤岳鉱泉到着。だいぶ暗くなっていたが結局ライトは使わずに到着した。先組はやっと雪踏みを終わったところだった。小屋泊まりのTAO・きすげ組とさよならをして、設営を手伝う。新雪が軽く、フッと息を吹きかけると雪煙が舞う。幾ら踏みつけてもなかなか整地出来ない。他のテントは3張。整地の様子からすべて停滞組のようで、と言う事は今日テントで入山したのは我らだけと言うことになる。設営が終わりテントの中を片付けて、雪を溶かした水作りをしていたら、夕食が終わったTAOさん達がやってきた。みんなでお疲れさま乾杯をする。我らはそれから夕食を食べ。結局落ち着いた時は9時を回っていた。小屋組の朝食の関係で、明日の出発は7時半とし、起床の時間は5時半。天気はいいはずなので期待は大きい。夜空は満天の星空だ。私はこの時点で、まだ明日どこに登るか決めかねていた。明日の予定をみんなに聞かれて、明日朝に決めると言った。その後も、寝ながら考えた。なかなか難しい決断だった。

 さて開けて17日。起床5時半。天気快晴。テントの外に吊した温度計はマイナス15.5度を示していた。荷物を整理して、まず水作りから始め、小屋組が約束の時間に現れた時にはまだ朝飯も食べ終わっていなかった。TAOさんに、どこ行くのと聞かれ、「硫黄岳」と答えた。気持ちとしては赤岳に行きたかったが、この雪の状況と、冬の八ヶ岳初めてのきすげさんにもピークを踏んでもらいたい事等々を考え、硫黄岳とした。そして出発9時。早立をしてもラッセルする羽目になる可能性が高い事と、目指すピークが硫黄岳だからこその遅立だ。全員アイゼンを付ける。きすげさんにはアイゼン歩行を教えながら登る。途中、早々と下山してくるパーティとすれ違ったが、彼らは朝一で出発したもののトレースが無く、ラッセルを途中で諦めて下山したそうだ。後続のパーティが引き続きラッセルしながら登っているそうだ。と言うことは、遅立はやはり大正解だったと言うことになる。ラッキー(^^;)v←オフレコ
 高度を上げる度に景色がよくなる。まず遠く御岳が真っ白に見えだす。すぐ近くにはとても立派な阿弥陀岳だ。やがて赤岩の頭着。北西風が稜線に雪煙を作り青空に広がる。稜線は寒そうだ。しかし赤岩の頭はそう強い風は無かった。ここまでの最後の登り斜面はハイマツやシャクナゲが生い茂る低木帯で、今回の大雪で雪の急斜面になっているのではないかと心配であったが、ここはさほど積もらなかったようで所々の木が顔を出している。夏道の登山道はジグザグに登っているはずなのだが、先行トレースをたどって直登した。一歩踏み出すとシャクナゲが顔を出し、もう一歩踏み出すとハイマツが顔をだす。フィトンチッドの強い香りが辺りを包み、むせ返るようだった。トレースこそあるが、雪と低木が絡み合い、ラッセルをしているのと同じ状態になり苦労した。さて赤岩の頭からの展望はというと……お見事!の一言だ。北アルプスの稜線が北から南までクッキリと見える。そこだけ黒い、槍の穂先も見えた。特に後立山の雪は一際多く映る。頭を北から南側に転じると南アルプス。間には中央アルプスと御岳山から乗鞍岳。そして目の前には硫黄岳への緩い稜線と横岳の荒々しい岩峰群。その先に赤岳そして右に阿弥陀岳だ。雪はやはり多い。

硫黄岳山頂にて

 硫黄岳着12時半。さすがにここまで登ると風が吹いている。しかし強いと言うほどではなくて、冬山としては当たり前の風だ。だだっ広いゴロゴロ石の山頂まで来ると、今まで隠れていた稜線の東側の山々が見えた。近くに、五丈岩をちょこんと乗せた金峰山。遠く北東方向には、やはり真っ白な上越国境方面の山々が見えた。谷川連峰の右に、上州武尊、至仏山、燧ヶ岳、少し離れて日光の奥白根が仲良く並んでいる。上越の山々の左側で一番わかりやすいのは浅間山だが、その横に志賀高原の山も見える。一番肝心な富士山は赤岳と横岳の稜線で見えないが、ほぼ360度の大展望が広がっていた。当初、登りは正午12時をタイムリミットとして、その時間になったら途中でも下る予定でいたが、中途半端に12時を回ってしまって、一番悪いパターンだ。手早く記念写真を撮り、山頂には五分もとどまらず下山。 下りは、一部滑りやすい場所もあるので、足場を見ながら私がトップで歩いた。

夕日の当たる横岳西壁と赤岩の頭にて

先ほどの赤岩の頭着。ここを過ぎると後は樹林を下るだけなので、腰を据えて20分の休憩をとってから出発。さすがに下りは早くて、みるみる高度を下げたが、それでも通常よりも時間がかかった。15時ジャスト赤岳鉱泉着。大同心にガスがかかりだした。テント撤収。当初の予定通りだと、私とカンスケのみ残り明日大同心稜を登る事になっているのだけど、明日の天候が悪そうだ。多少天候が悪くても、二人だけだったらどこかのピークは登れると思ったが、やっぱり悪天はつまらない。みんなと今日中に下りてしまうか、それとも泊まって明日にかけるか……、カンスケと相談していたら、他のみんなの下山準備が整ってしまい、結局置いて行かれてしまった。(みんなの下山開始16時20分)その後、ほとんど泊まるつもりでボ〜っとしたり、トイレに行ったりしていたら小屋にどんどん登山者が到着してきてなかなか受付にたどり着けない。昨日の夕方と違い、小屋はけっこうにぎやかになった。そこでしばしまた思案…明日は確実に悪天だろうと言う事で、やっぱり下ることに決める。カンスケは少しいやがっていたが、茅野で馬刺をおごるからと約束させられて、腰を上げた。急げばみんなに追いつけるだろう。しかしもう5時近い、ヘッドライトをすぐに出せる場所に移動させ出発。
 歩き始めてすぐに小雪が舞い始めた。みんなはどの辺を歩いているのだろう。18時を過ぎ、すでに辺りは暗いがヘッ電は付けずに歩いていた。雪明かりで何とか歩ける。大きな道に出て雪に埋まった車を通り過ぎてしばらく行ったところで、前方に複数のライトが見えた。おそらくみんなだろう。そのすぐ後に、突然目の前に登山者が現れた。彼もヘッ電を付けずに歩いていたため、お互いにかなり近づくまで分からなかった。少しびっくりした。 しかしみんなになかなか近づけない。あまりに暗くて、スピードが落ちた事に気づき、広い林道からショートカットの樹林に入ったところでやっとライトをつける。やっぱり明るくて歩きやすい。
美濃戸(赤岳山荘前)着18時半。ちょうどみんなが小屋に着いたところで追いついた。明日仕事で、どうしても今夜中に帰らなくてはならないゆーちゃんと、カンスケそして私の三人でタクシーを呼んで茅野から電車で帰る事に決め、小屋から電話でタクシーの予約をした。 出発18時45分、他のメンバーとまた別れ、ゆーちゃんと三人で美濃戸口までかけ下った。
 19時美濃戸口着。結局カンスケと私は2時間ちょいで赤岳鉱泉から下り着いた。いささか疲れた。しかしタクシーが遅い。けっきょく予約時間を20分過ぎて到着した。途中がだいぶ込んでいたそうで、結局美濃戸口で追いつかれた車組のみんなには茅野方面に出ない方がいいと運転手さんがアドバイスしてくれた。みんなとお疲れさまをして19時半出発。
 道は案の定混んでいて、タクシーは枝道や抜け道を選んでくれて急いだが、結局最終の特急の出発時間20時28分に遅れること2〜3分で到着。ゆーちゃんは肩を落として駅にたどり着いたら、ななんと特急が遅れていてまだ茅野駅に着いていなかった。特急がこなくてイライラしている沢山の人たちの前で、ゆーちゃんが「ラッキーィ!」と大きな声で叫び、改札口に苦笑が広がる。ちょっと恥ずかしかった。

おわり  

以上 川名 匡 



横岳西壁と赤岳を望む
横岳西壁と赤岳を望む(硫黄岳山頂にて)



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一級遊び人:川名 匡 t_kawana@da2.so-net.or.jp